ナポリタン/日本のパスタ料理
日本で独特の進化をとげたパスタ料理「ナポリタン」です。
ナポリ風ではなく、日本に伝わったトマトベースのパスタ料理が独自に変革されて固有の「ナポリタン」というパスタ料理になったと解説するのが適切です。
日本式ですが、日本人にとっての「和風」には当てはまらないところも特筆すべき点です。
当サイトは、イタリアを始め、欧米・アジアからの訪問者がそれなりに多い為、日本以外の方に向け若干「ナポリタン」を深堀した形で、解説すると共に、独自の仮説から、現状の特異性を獲得していった経緯等を考察してみたいと思います。
調理にすぐに進みたい場合、食材一覧~調理工程へのジャンプリンクはこちらになります。
また、日本で定着した元祖ナポリタンの味はおそらく外国の方には受け入れがたい部分が多分にあり、なにより僕自身が苦手です。
その為、使用する食材はほぼ同じですが、調理工程を通常の美味しいパスタ料理として仕上げた、僕考案のオリジナルレシピを紹介いたします。
Headline
- 1 日本へのパスタ料理伝来からナポリタン誕生までの概略
- 2 史上初めてトマトソースの料理を記したとされるレシピ本
- 2.1 アントニオ・ラティーニについての補足
- 3 起源的料理は18世紀のナポリの屋台飯
- 3.1 「トゥレ・チェンテジミ」の補足
- 4 明治の日本洋食はパスタも含めフランス料理ベース
- 4.1 当時のナポリは替わるがわる様々な国に支配されています
- 4.2 当時のスパゲッティ・ナポリテーヌの概要
- 5 別ルートのトマトソース
- 5.1 最初のナポリタンはうどん?
- 5.2 アントニオ・ラティーニのスペイン風トマトソースとケチャップ
- 6 ナポリタン誕生の背景
- 6.1 アメリカに渡ったイタリア料理の変容
- 6.2 米兵のスパゲッティ缶
- 6.3 戦後日本の小麦事情
- 7 ニューグランドのスパゲッティ ナポリタン誕生
- 7.1 入江氏のナポリタンの概要
- 8 ケチャップナポリタンの誕生
- 8.1 ケチャップパスタの一般普及
- 9 現在のナポリタン常識に対する僕の推察と見解
- 9.1 パスタのゆで加減
- 9.2 具材の選択
- 9.3 トマトケチャップの使い方
- 10 僕のオリジナルナポリタンの特徴とまとめ
- 10.1 スパゲッティはアルデンテ
- 10.2 ケチャップはトマトソースに仕上げる
- 10.3 具材は絞り適切な煮込みを行う
- 10.4 まろやかな仕上がりにする工夫を加える
日本へのパスタ料理伝来からナポリタン誕生までの概略
日本における西洋文化の流入は鎖国がなくなった明治期にさかのぼります。
この時代、西洋料理はフランス料理であったことから、ナポリタンに至る過程でケチャップとなったトマトソースを使った料理もフランス料理経由で日本に伝わります。
もう一歩踏み込んでいうならば、ナポリタンという名称がそもそもフランス語のナポリ風[Style napolitain(スチン・ナポリタン)]の読み方を踏襲しているのはほぼ間違いないでしょう。
では、新大陸(アメリカ大陸)原産のトマトを使用したソースをフランスが編み出したかというと、そうではなく、フランスではナポリで食されていたトマトソースを取り入れたという流れのようです(フランスとナポリの関係は後述)。
史上初めてトマトソースの料理を記したとされるレシピ本
後述いたしますが、トマトベースのソースを記した最初の料理書として知られるアントニオ・ラティーニ著「Lo Scalco alla Moderna」に記されているスペイン風トマトソース[Salsa di pomadoro alla spagnola]の食材は、現在のトマトケチャップにかなり系統が近いソースと言えます。
出典:Google画像検索「Lo Scalco alla Moderna」
アントニオ・ラティーニについての補足
アントニオ・ラティーニ(1642–1692)のレシピ本には、ミルクソルベのレシピが記されており、公式にアイスクリームを考案した人物としても知られています。
起源的料理は18世紀のナポリの屋台飯
1696年に先述したアントニオ・ラティーニの料理書は発刊されていたものの、フランス経由で日本に伝わったトマトソースを使ったスパゲッティ・ナポリテーヌ(Spaghetti Napolitaine)のベースは、これよりも民間で普及していたトマトソースの影響が大きかったことが伺えます。
当時18世紀頃にナポリの庶民(貧民)の中で食されていたトゥレ・チェンテジミのヴェルミチェッリ(ヴェルミチェッリとはパスタの種類)の影響が非常に大きかったことがレシピより推察できます。
「トゥレ・チェンテジミ」の補足
その為、トゥレ・チェンテジミ(3チェンテジモ)のヴェルミチェッリです。
チェンテジモ(単数)は、リラの1/100の単位です。
当時の食事として普及していたピッツァ(マルゲリータ)を比較しても食材構成が同じである点、また、当時庶民はヴェルミチェッリ(麺状のパスタ)を手づかみで食していたのだそうです。
尚、貴族がヴェルミチェッリを食す場合、手で食べるわけにもいかない為、この時代に現在の4本フォークができたのだそうです。
明治の日本洋食はパスタも含めフランス料理ベース
先に記載した通り、当初日本の洋食はフランス料理がベースで、パスタ料理においてもフランスに渡ったパスタ料理が日本に入ってきたと言えます。
ナポリは、現在においてはイタリア共和国ですが、当時イタリアという国はできたばかりです(イタリア王国成立1861年~1870年統一完了)。
ナポリという地は、フランス、スペイン、オーストリアの領地と遍歴しています。
当時のナポリは替わるがわる様々な国に支配されています
11世紀にノルマン人により、シチリア島からイタリア半島南部にシチリア王国ができます。1266年、シチリア島とともにフランスのアンジュー伯の支配下に入ります。しかし反感が大きかったため、スペインが介入し、シチリアは切り離され、スペインへ支配が移ります。
ナポリはアンジュー家の支配下にありましたが、家が断絶し、オスマン帝国の侵攻やスペインアラゴン家が途絶えるなどもありイタリア戦争が勃発しますが、1504年からスペイン王国領となります。
さらにスペイン継承戦争(1714年)後、オーストリア=ハプスブルク家領になり、更に1733年のポーランド継承戦争後に再度スペインの支配になるという非常に波乱の地なのです。
最終的にイタリア統一運動がおこり、その時点でナポリを包括していた両シチリア王国は、1861年にイタリア王国に併合されます。
尚、ナポリの国名を並列しようとしましたが、実際には上記よりもさらに支配が入れ替わり国名も変わります為、ここでは国名を分けて遍歴を記載しておくにとどめます。
シチリア王国⇒(シチリアと分割されて)ナポリ王国、(シチリアと統合されて)ナポリ=シチリア王国(両シチリア王国)ですが、ナポリ王国と両シチリア王国を何度も繰り返します。
当時のスパゲッティ・ナポリテーヌの概要
現在に残るフランス料理のスパゲッティ・ナポリテーヌには、オリーブ等様々な食材が加えられており、また様々なバージョンのレシピが散見されるますが、いづれも当時のレシピより大きく変革していると推察されるため、参考にできません。
また、ナポリ風付け合わせ[Garniture à la Napolitaine]という同名の料理が現在にも残っており、レシピ内容も酷似しています。
現代のレシピの食材は、スパゲッティ、グリュイエールチーズ、パルメザンチーズを混ぜたものにトマトピューレとバター。その配分もほぼイコールです。
最終的に日本で一般認知されるナポリタンの名称、その名付け親は、横浜のホテルニューグランドの入江茂忠氏と言えますが、その前段、初代総料理長のサリー・ワイル氏が提供した「スパゲチ ナポリテーイン」は、裏ごししたトマトとチーズで作ったソースをかけたものだったと推定されているそうです。
サリー・ワイル氏は、オーギュスト・エスコフィエの料理に傾倒していたとされますので、同様のソースであったと言えると考えます。
つまり、ナポリ風付け合わせ[Garniture à la Napolitaine]がベースであることは疑いようがありません。
この時点における日本伝来のトマトソースのルートは、アントニオ・ラティーニではなく、トゥレ・チェンテジミであったとほぼ確信をもって判断ができます。
そしてその後のナポリタン誕生までの経緯をみるとチーズが少ない仕上げ方だったのではないかと仮説が立てられます。
別ルートのトマトソース
1921年の時点で銀座の煉瓦亭には、「イタリアン」というメニューがあり、当初「イタリアン」にはトマトピューレを用いていたが、関東大震災後から戦時中に食料配給制になるまではケチャップを使用したという話が残っているそうです。
1927年の若林ぐん子氏の著「欧米の菓子と料理」には、「ナポリ式スパゲッチ」があり、これはベーコン、タマネギ、トマト缶、トマトペーストを煮込んでソースを作り、茹でたスパゲッティにかけるものだったとされています。
これらは、チーズを用いないソースであることから、この時点における上記で触れてきたホテルやレストランで主に用いられていたトマトソースとは別系統であることは間違いありません。
1866年にイタリア王国と日本は日伊修好通商条約が締結し、外交が始まっていますのでイタリア経由のレシピであったのではないかと推察できます。
最初のナポリタンはうどん?
さらに1937年の「婦人之友」12月号には、スパゲティの代わりにうどんを代用して作る「スパケテナポリタン」が紹介されているそうです。
これはトマト、トマトケチャップ、月桂樹の葉とシェリー酒を加えて湯で伸ばし、塩と胡椒で味付けしてソースとするレシピです。
このレシピは、先述したアントニオ・ラティーニのスペイン風トマトソース[Salsa di pomadoro alla spagnola]の影響が少なからず見られます。
アントニオ・ラティーニのスペイン風トマトソースとケチャップ
トマト、タマネギ、ピーマン(辛パプリカ)、イブキジャコウソウ(タイム)、塩、オイル、酢等
これに対し、トマトケチャップの主な材料は下記です。
当時のケチャップが現在のケチャップほどに香辛料等が加わっていたかは不明ですが、主要食材だけを比較するとほぼ一致します。
但し、アントニオ・ラティーニのトマトソースは、茹でた肉にかけて使用することを本人が推奨していたそうで、ソース兼付け合わせ料理(サラダのようなもの)として提供される類の品だったとされています。
ナポリタン誕生の背景
我々が知る現在のナポリタンは、上記時代まで日本に伝わってきた料理と似た部分もありつつ、別物ともいえる特色があります。
パスタは、アルデンテではいけないとされていたり、強烈なケチャップ味で仕上げることもあげられます。
それらは当時の時代背景と食糧事情が大きく影響していたものと考えられます。
戦後、日本はGHQの占領下に置かれたため、アメリカ文化の影響を大きく受けることとなります。
アメリカに渡ったイタリア料理の変容
19世紀末から20世紀初頭、イタリアからアメリカへの移民は、ナポリ近傍のカンパニア地方やシチリア出身者が多かったのだそうです。
当初彼らは母国から輸入したパスタを食べていたそうですが、先に移住していた豚肉食文化のドイツ系移民による同化政策がとられ、肉食が奨励され、イタリアの食文化は修正されていったのだと言われています。
アメリカでのパスタ料理は、コースの一品としてよりも単品で全てを満たす料理の側面が強くなり、更にアメリカ人の嗜好に合わせて大衆化していきます。
結果として、スパゲッティにトマトソースとミートボールとパルメザンチーズを合わせた「スパゲッティ・ウィズ・ミートボール」が誕生したといいます。
この料理は世界恐慌の折に安価な料理としてイタリア系以外のアメリカ人にも広まったと言われています。
米兵のスパゲッティ缶
第二次世界大戦ではアメリカ陸軍にスパゲッティの缶詰が支給されるようになります。
この缶詰のスパゲッティにはケチャップに近いソースが使われており、柔らかくぎっとりと甘いものだったのだそうです。
さらに特筆すべき点として、缶詰スパゲッティに慣れたアメリカ人は、コシのないやわらかい麺に慣れ親しんだため、嗜好に合わせて(缶詰ではなく)生産されるスパゲッティも硬質小麦ではなく軟質小麦を使用したものになっていったのだそうです。
こうしてアメリカ人はケチャップあえのスパゲッティを好むようになり、この嗜好がGHQと共に日本に伝わることになります。
戦後日本の小麦事情
深刻な食糧難に陥っていた日本では、米不足を補うために主食として粉食の普及が推進されました。
1954年(昭和29年)3月、日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定(MSA)が締結され、日本はアメリカ産の小麦50万トンを受け入れることになりました。
この「MSA小麦」は、軟質小麦で質もあまり良くないものだったのだそうです。
結果として、輸入された小麦は薄力粉となる軟質小麦であり、必然的に日本のパスタは薄力粉で打ったコシのないものになったといわれています。
ニューグランドのスパゲッティ ナポリタン誕生
1945年(昭和20年)GHQに接収されていたホテルニューグランドの第2代総料理長の入江茂忠氏は、米兵士がケチャップで和えただけの具なしスパゲッティを食べているのを見て、「スパゲッティ ナポリタン」を考案したとされています。
入江氏の「スパゲティ ナポリタン」はケチャップを使っておらず、フレッシュトマトからトマトソースを調理していることを言及しておきます。
入江氏のナポリタンの概要
生トマト、タマネギ、ニンニク、トマトペースト、オリーブオイルでトマトソースを作り、炒めたハム、ピーマン、マッシュルームを具材としています。
EX)ニューグランドにて提供されている伝統のナポリタンを食してみたところ、ピーマンの使用はないようでした。
ジャパニーズパスタ料理の大御所といえばナポリタン🍝以前そのルーツを辿り、日本への到達、名称的・骨格的発祥と環境による変化を経て現代の多くの方が認識するナポリタンに至った経緯をまとめましたその前段で触れた名称的・骨格的にも多くの面で発端の一つと言えるホテルニューグランドのナポリタン当時のレシピを見る限りナポリ風スパゲッティ(Spaghetti alla napoletana)に近いソースだったようですと触れたこともありますその予想は正しかったようです、近いうちに再現しようと思います今日の外食(ホテルニューグランド)ナポリタンプリン・アラ・モード
— マスター/MastarJP (@masterjp.bsky.social) 2024-09-17T10:56:43.794Z
トマトソースにおいて、前身となるサニー・ワイル氏の「スパゲチ ナポリテーイン」にみられるチーズが含まれておらず、現在にみられるナポリ風スパゲッティに使用されるトマトソースにかなり近いものに変化していることも特筆すべき点であると思います。
相当な情報収集と研究をされたことが伺えるソースですが、具材の組み合わせはイタリアパスタ料理的ではありません。これは入江氏がスパゲッティを「ホテルで提供するに相応しいスパゲッティ料理を作ろう」という志のもと改良を進めていった結果であると考えます。
パスタ料理に限らずですが、一品に加わる具材が多くなるほど味をまとめることが難しくなるため、料理人の調理技術の差が味にでます。
入江氏のナポリタンに見られる主役級食材の多種投下は、まさにこの志しに基づく調理人としての技術を明示・誇示する品に仕上っていると考えます。
もう一つの特徴として、7割がた茹でたパスタを冷まし、5-6時間放置したうえで湯通しすることで麺のもっちりした食感を出す、というひと手間を加える工夫がみられます。
ケチャップナポリタンの誕生
入江氏と親交があり、開業後にもアドバイスを受けていたと言われる石橋豊吉氏は、横浜市野毛に洋食レストラン「センターグリル」を開業し、当初よりケチャップで調理された「ナポリタン」を提供していたと言われています。
ケチャップパスタの一般普及
1955年(昭和30年)日本マカロニ株式会社(現:マ・マーマカロニ)と日本製粉(現・ニップン)がそれぞれ国産スパゲッティの販売を開始します。
この販売促進のデモンストレーション用にケチャップを混ぜて炒める「ケチャップパスタ」が登場し、調理が簡単なメニューとして喫茶店や家庭に広まっていったといわれています。
現在のナポリタン常識に対する僕の推察と見解
これまで見てきた歴史と調理経緯を見ていくと現在のナポリタンの既に神話化されている特異といえる特徴について誤解釈を含め、推論が立てられます。
パスタのゆで加減
入江氏考案の7割がた茹でたパスタを冷まし、5-6時間放置する調理法が、現在のナポリタンのアルデンテは間違い神話を作り出したきっかけであろうことは多くの方が認識されていることだと考えます。
これまで見てきた歴史的背景をみると、米国(米兵に支給された)スパゲッティ缶普及によるコシのないパスタが好まれるようになったことと、硬質小麦の入手が困難であった時代背景が大きく影響しています。
突然登場するこの入江氏のパスタの中途茹でからの長時間放置テクニックは、アルデンテを否定するものではなく、軟質小麦を硬質小麦(更に言及するならばデュラム小麦)のアルデンテを目指して行った措置であることは明らかなのです。
開発当時、ニューグラントはGHQに接収されていますので、ナポリタンを提供する対象である米兵の好みに合わせるならば、コシのないパスタをそのまま提供する形になるはずです。
モチモチ食感を出すことは彼ら米兵の当時の趣向を否定する形になるわけですから。
生パスタというとそれだけでコシのあるモチモチのパスタをイメージする方が多いですが、正しくは硬質小麦、つまり強力粉の比率が多い小麦で作るとパスタはモチモチとした食感になるのです。
当時の小麦は軟質パスタですので、全く逆の結果となります。
軟質小麦による通常の調理では、コシがないパスタ(スパゲッティ)にしかなりえません。
戦前のサリー・ワイル氏の「スパゲチ ナポリテーイン」提供時代に既にニューグラントで調理人をしていた入江氏が当時のスパゲッティを知らないはずはなく、現在一般認知されているぶよぶよのアルデンテではないパスタを目指すわけがないのです。
更に一歩踏み出した言及します。
コシのある麺という表現がこの時期の文献にもみられますが、コシがある麺(パスタ)とは、つまりアルデンテです。
アルデンテの茹で加減ではないパスタはクルード(生)かコシのないパスタです(一定の品質を担保したパスタであることを条件とします)。
これはアルデンテのパスタが、どのようなものかを理解していない方の表現が多分に紛れこみ、端的に言うと話をややこしくしている側面があると考えます。
以上のことより、少なくともきっかけとなった入江氏は、アルデンテを否定するのではなく、軟質小麦のパスタしか手に入らない状況下で一定品質のアルデンテの食感を目指してこの調理法を編み出したことを一定の確度をもって推察することができます。
入江氏の苦心の理由は理解されず、当時の米国趣向のパスタ普及とイメージにより誤解釈され、アルデンテは間違い神話が誕生したのだと一定の確信をもって推察します。
アルデンテは間違い神話は、既に日本において完全に浸透し、信じられている神話であり、日本人の思い出の味とまでなっていますので、むしろ日本のナポリタンにおける正当な特徴であることにも言及しておきます。
具材の選択
前述しましたが、本来、パスタ料理における主役級食材の多種投下はまとめることが難しく調理人の腕の差が如実にでるため、家庭料理において推奨されるものではありません。
イタリアの食は郷土料理の集合体と言える(地域により料理がかなり異なる)ものの、共通していえる食文化、趣向性として同じ料理ならばシンプルなものほどより好まれることは、周知の事実です。
これは複数の食材を組合せすぎると食材同士が喧嘩してしてしまう為で、彼らは伝統料理や二つ名付き料理のように既に存在し、美味しくなるとわかっている組み合わせを除き、殆ど行いません。
1+1=2であるならば、1と1、別々の料理で食することを彼らは好みます。そして多くは1+1は2以上にすることが難しいのです、多くの場合は1.8とか1.5とか2未満になります。
1+1が2以上になるとき、それは美味しい組み合わせとして伝統料理になったり二つ名付きの料理となったりするのだと僕は理解していますし、おそらく間違いありません。
入江氏の具材である、ハム、ピーマン、マッシュルームの組み合わせは、トマトソースを媒介させるにしても各食材を生かしきって調理するのは高難易度だと感じます。
しかし、日本においては特に戦中・戦後食材の嵩増しが推奨されてきた背景がありますので、その意図は一般には認識されていないと推察できます。
トマトケチャップの使い方
ケチャップ使用は、先述の戦前の「主婦之友」にて紹介されたうどんナポリタン、センターグリルのナポリタンでの使用は、あくまでトマトソース調理の短縮形態、トマトソースの代用としての使用であったと推察されます。
センターグリルでは入江氏のアドバイスもあったとされること、「主婦之友」のうどんナポリタンにおいては、トマトとトマトケチャップを合わせて使用する点やその他の使用食材からトマトソースを作ることを目的として使用されていたことが明らかです。
現在のケチャップ味が好まれるようになった過程はこのナポリタン誕生の外枠である、日本マカロニと日本製粉の販売促進活動をきっかけとしたケチャップスパゲッティ普及の道程にあったと考えます。
先にあげた主役級食材数が増えると食材をたたせることが難しくなり、結果調理の仕上がりに調理の腕の差が非常によくでるという技術面での問題に対し、このケチャップの強い味はそれらを意識させにくくしていったのではないかと推察します。
結果としてケチャップの濃度が高く、ケチャップ味の濃いスパゲッティは総菜の付け合わせの定番にもなり、このケチャップ味のスパゲッティこそがナポリタンの代名詞となっていったのではないかと考えます。
現在、ナポリタンの有名店でも見られるケチャップ味のナポリタンを好む方も無論たくさんおり、少なくともナポリタンの有名店においてもケチャップ味のナポリタンが主流のようです。
僕のオリジナルナポリタンの特徴とまとめ
現在一般的なナポリタンの特徴は、パスタ料理としては逸脱した特異点であり、個人的感覚では、食するに好ましいものではありません。
そして、これまでナポリタンの誕生までの歴史を紐解くといずれも作り手の意図は、誤解釈されて根付いた特徴だと一定の確信をもつこともできます。
これらを踏まえて、僕が普段行っているイタリア料理の調理に基づいたパスタ料理として僕が美味しいと思えるレシピに仕上げています。
スパゲッティはアルデンテ
僕のナポリタンは、アルデンテで仕上げます。理由は二つ、純粋にパスタはアルデンテ(ちょうどよい感じ)の仕上がりが最も美味であること。
そしてナポリタンの生みの親ともいえる入江氏はアルデンテのスパゲッティを目指して改良を重ねたとも確信しているからでもあります。
ケチャップはトマトソースに仕上げる
そして、現在ナポリタンの象徴であるケチャップを使って調理しますが、このケチャップをトマトソースとして仕上げていきます。
ケチャップに含まれるビネガー(酢)の酸味を飛ばし切り、トマトの風味を生かし、アントニオ・ラティーニのスペイン風トマトソースの風味に近いのでなないかと想像できるものに仕上げます。
具材は絞り適切な煮込みを行う
更に具材においては、食材それぞれの味を立たせ、生かす難易度を少し下げる為、マッシュルームを除外し、一般的なイタリアンパスタの組み合わせの範疇に入るベーコンとピーマンをベースに上記トマトソースと合わせます。
ピーマンは通常イタリア料理ではトマトピューレにしっかり煮込む工程がありますので、一工夫加えて煮込み調理を行います。
まろやかな仕上がりにする工夫を加える
上記3つの措置で既にパスタ料理として相当に美味に仕上がりますが、更にバターを加えホテルで提供するのに相応しいと言える上品でかつ強いインパクトのある風味を加えます。
また、ケチャップが相当に苦手な方においてはオプションとしてクリームを少量加えることを提案いたします。
これらの調整と調理工程をまとめましたレシピにより、僕も美味しいと思えるナポリタンが出来上がります。
補足:スパゲッティは炒めない
名古屋にはナポリタンを鉄板の上に載せ、卵を敷いた「イタリアンスパゲッティ」と呼ばれる派生料理があり、その影響からかナポリタンはスパゲッティそのものを炒め、焼くという調理をされることがあります。
イタリアにおいても特異な存在と言えるプーリア州の比較的新しい名物料理と言える、暗殺者風のスパゲッティ(日本では暗殺者のパスタとして知られます)という一部例外を除き、スパゲッティを焼くという調理の仕方は通常行いません。
当然僕のナポリタンもアルデンテで仕上げます。
尚、パスタを焼きつける結果、パスタが少しモチっとした食感になる事も確かの為、日本においてナポリタンがこのように変容していったのだろう推察も立てられます。
注意:タバスコの使用は気を付けて
ナポリタンに振りかける調味料は粉チーズとタバスコというのが定番です。しかし、タバスコも米国発祥の調味料で米国食文化の影響と言えます。
タバスコそのものは、唐辛子とビネガー(酢)と塩で構成された調味料ですし、ナポリタンに使うケチャップにも酢は入っていますので味そのものが喧嘩することはないのですが、酢は非常に強い味わいの為、適切な調理をせずに多く使いすぎれば食材の美味しさを覆い隠してしまいます。
使用には細心の注意を払うべき調味料です。
唐辛子系の辛みが欲しい場合は通常、普通に唐辛子を加えるため、イタリア伝統料理においてタバスコが使われる料理レシピを見たことがありません。
僕のナポリタンは使用する場合は料理の味わいバランスを崩さない程度にとどめることを推奨いたします。
以上です。
ナポリタン/日本のパスタ料理材料1人分
玉ねぎ1/4個
ピーマン75g(緑・赤・黄推奨)
ベーコン30g
ケチャップ60g
生クリーム大匙1(オプション)
バター10g
パセリ1枝
パルメザン大匙1
オリーブオイル大匙1
塩・胡椒適量
1人分:約723カロリー
ナポリタン/日本のパスタ料理調理工程(約35分)
下塩一つまみして数分間炒め小麦色にします。
柔らかくなったら鍋肌にケチャップを投下します。
強火にして刺すような酸の香りがやわらいだら、全体にゆっくりとなじませてケチャップに含まれる酢の酸味を飛ばし切ります。
湯が沸いたらパスタを投下し、表記時間より2分早くゆで上げる予定です。
その間にフライパン内のケチャップの酸がなくなったことを確認し、お玉1杯の湯を加え、全体になじませてから弱火にして蓋をして10分煮ます。
火を落としてパスタが茹で上がるのを待ちます。
パスタにソースを全て閉じ込めたら、火を止めてバターとパルメザンを加え、全体に混ぜて溶かして吸収させたら仕上げです。
皿に盛り付けてパセリを散らしたら完成です。
ナポリタン/日本のパスタ料理の調理ポイント
日本でのパスタ料理ではあまりなじみがないかもしれませんが、ピーマンはトマトで煮込んで調理するのが一般的です。
この組み合わせでさっと炒めるだけという調理の仕方は寡聞にしてイタリア料理ではパッと頭に浮かんでこないほどです。
例えば、僕のナポリタンではキノコは加えませんが、キノコが入る一般的なナポリタンとほぼ同じ食材(相違点はケチャップ⇒ピューレ使用くらい)を使う、エミリア・ロマーニャ州のパスタ・アッラ・ジンガラ (ジプシー風パスタ)[Pasta alla zingara](🔗参考)では、煮込み時間は2時間とされています。
調理工程でピーマン投下後の煮込み時間、本来食材特性を鑑みるならばさらに長い時間煮込むべきなのですが、調理時間の問題もある為、レンジで1分温めてから投下する措置をとっています。
もう一つ特筆すべきポイントは、トマトケチャップの措置についてです。
ケチャップに含まれる赤ワインビネガーの酸をしっかりと飛ばしきる為に強火にして、最初鍋肌、酸がやわらかくなったら全体になじませたうえで酸っぱさを飛ばしきることです。
最後の仕上げにバターとパルメザン(粉チーズ)を加える際には火を落としてから。その為、バターは常温で少しやわらかくしておくとよいです。
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